「スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」

結局のところ前作でライアンが示したスターウォーズシリーズの「新たなる希望」はJJのお気には召さなかったといったところか。

 

「最後のジェダイ」はスターウォーズシリーズの脱構築に挑戦した作品であった。前作で最も重要と思われるプロットは、

 

「ライトサイドが正しいあり方であって、ダークサイドは絶対悪である、というこれまでの解釈自体が間違っている。」(まさにルークが、「素晴らしい、全て間違っている」と言うように!)

「即ちジェダイ・オーダーは明確に失敗した」

 

というもので、それを物語的に表したのが、「レイは何者でもない」という事実であった。我々はそこにこそ確かな希望を見出していたはずだ。つまり、ジェダイの失敗を通してライトサイドとダークサイド、ジェダイとシスの終わりなき戦いという閉じた円環から脱する、言い方を変えれば、このシークエルトリロジーとその後続いていくスターウォーズ100年計画が、マンネリ化した「スターウォーズ」的物語を卒業して、開かれたフォースの神話となっていく希望である。

 

我々は、今回で全9作となるこのシリーズが6+3作となることを望んでいたのである。しかしJJはあくまでも9作というまとまりに拘った。JJはシークエルを「独り立ち」させるよりも、「家族の一員」として囲うことを選んだ。その強烈な象徴がパルパティーンであり、レイの出自だ。今作でルークはレイに「血より大事なものがある」と語る。これは確かにライアンのメッセージに符合するが、そこに説得力が伴わないのは、もちろんレイが結局「貴種」であったということもあるが、なによりJJ自身が「スターウォーズという血筋」にこれ以上なく拘っているからである。その意味で、スカイウォーカーの夜明けはスターウォーズという神話に正しくパッケージされた、正しいスターウォーズである。それが故に裏切られたと感じてしまうファンが、私を含め一定数存在するはずだ。

 

JJは公開前の様々なインタビューで、パルパティーンを出場させる意味について盛んに答えていた。映画を見てからだと、JJにとってパルパティーンがいかに重要であったかということがよく分かる。シークエルをスターウォーズの血統に綴じ込む為には、伝説の6作を貫く黒幕であるパルパティーンにもう一肌脱いで頂き、パルパティーンによって9作を一繋がりとする必要があったわけだ。

 

見ればわかるが、過去作への拘りはパルパティーンだけではない。というか、今作で初めて明らかになる事実やエモーショナルなシーンはほとんど全て過去作の要素である。レイの出自はもちろん、ランドの登場、ポーが昔スパイスの運び屋であったこと(ハンソロと同じ)、ルークとレイアの訓練、ルークのXウィング、C3POのくだり、ベンとハンの会話、ラストのイウォークなど。確かに感動するのだが、しかし懐古趣味的なシーンの連続で、その先に待ちうけていたのがパルパティーンの誘惑。「ジェダイの帰還」完コピシークエンスである。あそこで辟易しないかどうかでこの映画の評価が決まるといってもいい。その後のベンの見せ場や、同時進行する艦戦シーンが観れたから良かったものの、率直にいって私はダークサイドに堕ちかけた。「フォースの覚醒」をもう一度観せられていると思ったのは私だけではないはずである。

 

こうなってくると「フィンがレイに言いかけたこと」やレンが仄めかした「別の狙い」といった序盤の伏線が回収されてないこと、重要度の割にレイの両親の描写が少なすぎること、また、何故か最後まで顔面を晒さないゾーリやまたまた追加されたマスコット的キャラのD-Oやバブ、妙に造形を凝らしている割に一瞬しか映らないカニ鋏型ライトセーバーや黄色ライトセーバーなどグッズ販売の圧力を感じてしまう新キャラ・新アイテムもいちいち気になる。さらにはライアン・ジョンソンがせっかく(?)ぶち壊したルークのセーバーが何事もなかったかのように冒頭から既に治っていたり、前作で大活躍したローズが脇に寄せられてフィンには新キャラがあてがわれていたりするのを見ると、絶対に前作を認めないという強い意志を邪推してしまう。ダークサイドの誘惑に屈しそうだ。

 

展開のサプライズも非常に少なかったように思う。まさかレイの出自で驚かせようとは思ってないだろう(と信じたい)から、なにか一押し欲しかったところだ。ラストでベンが救援に駆けつけてからレイと並んでセーバーを構えるところまでは燃えたが、その後ベンがあっさり退場してしまったのは残念だった。全盛期に返り咲いたパルパティーンと2対1でチャンバラするぐらいはしてもよかったのでは。これを含めてベンの物語の閉じ方はベイダーをなぞっただけで驚きはなかった。レイが去った後デススターの残骸で佇むベンが非常にフォトジェニックでなにかを新しい展開を予感させるものであっただけに、残念である。

 

それでもこの映画にそれなりに満足感を得ることができたのは、信者であるという補正力を除くと、主役の3人の物語が楽しかったからである。3人の冒険譚と、 特にフィンの物語が良い。前作のスピリットをフィンがほとんど担っているからだろう。この映画はフィンの物語として楽しむべきである。

 

以上かなりダークサイドに傾いた感想だが、フォースの信仰力補正を加えた上でまとめると、決して悪い映画ではなく、むしろ正当すぎるといってもよいぐらい正当なスターウォーズであり、そういうものを求める保守的なファンにはかなり楽しい映画だったと思う。

 

我々の望んだ新しいスターウォーズの希望は、ライアン・ジョンソンの新シリーズに託そう。