「007/スペクター(Spectre)」

「007/スペクター」は前作「スカイフォール」の裏面といえるかもしれない。
 
007シリーズは今作のスペクターで24作目、「新生」した2006年のダニエル・クレイグ版007、「カジノ・ロワイヤル」から数えると4作目になる。
 
カジノ・ロワイヤル」は、ガンバレル・シークエンスから始まらない、マティーニをシェイクしない、などこれまでの007シリーズとの決別をはっきりと示した作品であった。それ以降「スペクター」も含めて、全て設定とキャストを共有する一連のシリーズとなっている。
 
元々007シリーズはコメディとシリアス・アクションをいったりきたりの作品群だ。それについてはダイナマイト・ボンバー・ギャルさんのやりすぎ限界映画入門が詳しい。
 
Bond’s been through his blaxsploitation phase (Live And Let Die), gone kung fu fighting (The Man With The Golden Gun), ripped off Miami Vice (License To Kill) and Moonraker even followed Star Wars into space. 2012’s inexplicably acclaimed Skyfall was for all intents and purposes a remake of The Dark Knight, co-starring Javier Bardem as The Joker and spending a rather baffling amount of screen time on Bond’s dead parents, even giving James an Alfred the Butler of his very own.
 
SPLICED PERSONALITY
また、この引用の通り、当時の社会や映画の状況を反映させるのも特徴だ。
 
さて、ダニエル・クレイグ版では完全にシリアス路線に固定し、リアリズムを追求するスパイ映画になった。これには「バットマン・ビギンズ」成功の影響もあるだろう。ダニエル・クレイグ版3作目「スカイフォール」に至っては明らかに2008年「ダークナイト」の影響を受けている。
 
これによって007は新たなファン層を得た。つまり、ジェームズ・ボンドダニエル・クレイグ)のファンだ。かくいう私もそうで、ジェームズ・ボンドショーン・コネリー)もジェームズ・ボンドロジャー・ムーア)もジェームズ・ボンドピアース・ブロスナン)もあまりピンとこなかった私がダニエル・クレイグ版007はリアルタイムでちゃんと観続けている。世代もあるが、こういう人は多いはずだ。
 
結論からいえば今作「スペクター」はこのようなファン層を置いてけぼりにしたところに問題がある。
 
あらすじを説明するとこうだ。
(*ラストまでネタバレしています)
 
 
 
 
 
前作「スカイフォール」で新体制になった00部門はMI6の新局長"C"(アンドリュー・スコット)の方針により解体寸前であった。一方ジェームズ・ボンドダニエル・クレイグ)は単独で前任のMの遺言でマルコ・スキアラ(アレッサンドロ・クレモナ)という男の暗殺を遂行していた。しかしマルコの背後には「スペクター」とよばれる犯罪結社がおり、それが世界中の犯罪を立案遂行していることが明らかになる。「スペクター」を追うボンドは、「カジノロワイヤル」の敵役の一人であったミスター・ホワイト(イェスパー・クリステンセン)とその娘マドレーヌ(レア・セドゥ)の協力を得てその首領ブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)に辿り着く。ブロフェルドは世界中で犯罪を起こしているだけでなく、これまでボンドが関わった事件全ての黒幕でもあった。しかもボンドの養父の実子でもあり、ボンドが幼少時に雪山で養父と共に死んだと思われていた人物であった。また、”C”を裏で手引きしていたのもブロフェルドであった。ブロフェルドが送る刺客をマドレーヌと共に退けながら、”M”(レイフ・ファイアンズ)、”Q”(ベン・ウィショー)、マネーペニー(ナオミ・ハリス)と合流したボンドは、世界の機密情報を握ろうと画策する”C”の陰謀を食い止めると共に、ついにブロフェルドを逮捕する。
 
 
 
 
 
今作の敵スペクターには、007ファンにとっては重要な意味があって、これがこの映画最大のウリである。スペクター(ブロフェルド)は初期007に登場するジェームズ・ボンドの宿敵なのである。それが再登場するということで話題になった。
「すべての巨悪を束ねる世界犯罪組織」という現在の価値観からみれば陳腐な設定であるが、「すべての巨悪を束ねる世界犯罪組織」の原点のひとつがこのスペクターなので、いまさらそれはないなと思ってはいけない。
 
犯罪組織スペクターも含め今作のテーマは原点回帰だ。これは前作「スカイフォール」のラストシーンで明確に示された。その提示を受け継いでいる。
今作のジェームズ・ボンドダニエル・クレイグ)は女をこますし、マティーニもシェイクしようとする(が、飲めない)。ボンドカー(アストンマーチン)には秘密兵器が搭載されていて、時計型爆弾もある。伝説のアストンマーチンDB5もスカイフォールに続き登場する。またギャグもわりに冴えていて、映画館ではそれなりにウケていた。
 
オープニング・シークエンスのド派手なアクションは見物で引き込まれる。ローマ市街地のカーチェイスシーンも迫力があるし、セリフのセンスも良い。ラストで"M"、"Q"、マネーペニーとフォーマンセルで立ち向かう展開も熱い。
 
ただ、(私が新参ファンであるせいか)敵役ブロフェルドに惹かれないのである。
ブロフェルドは世界中の犯罪の黒幕である組織スペクターの首領で、ジェームズ・ボンドの宿敵である。これ以上ない魅力的な設定でありながら、今作ではチンケな悪党にしか映らない。
 
ブロフェルドの登場シーンは、古参ファンでない私も非常に興奮した。
全上映時間148分の長丁場でブロフェルドはなかなか姿を見せない(時間失念。大体40分~1時間ぐらいだったように思う)。やっと姿を見せたと思ったら、影で顔が隠れており、側近に小声で指示を与えるのみ。
悪のカリスマ性が演出されており、これはとんでもないやつがでてきた、と思わせる。
 
しかし一旦姿を見せると……
ジェームズ・ボンドの前にのこのこ出ていくのである。
知性派じゃなかったのか…。一応ジェームズ・ボンドに私怨がある(後述)という説明があるが、前作までは人を操ってボンドを苦しめていた(らしい)ブロフェルドがいきなり自力本願である。しかもそのせいで顔に手痛い傷を負い、最後にはテムズ川上空をヘリで逃げているところをボンドに船の上から(!)拳銃で(!)プロペラの付け根を狙撃されて(!)墜落、逮捕されてしまう。
 
これではチンピラである。名優クリストフ・ヴァルツの地力でなんとかもっているものの、設定からすればあまりにパッとしない悪役だ。もしかしたらこれは影武者で(ブロフェルドには影武者が多い)次作を見越しての展開かもしれないが、クリストフ・ヴァルツが影武者というのも…。
 
またアクションも(満足いく演出であったものの)大味だ。特に先述したラストシークエンスは笑ってしまう。が、これはわざとやっているのかなとも思う。
 
というのも今作は荒唐無稽な初期007に原点回帰したものであるからだ。
そしてこの点が、シリアスなダニエル・クレイグ版007のファン層には響かないのではないかと思う。RottenTomatoesのレビューにもそれが反映されているのではないか。
 
ところで、ブロフェルドの私怨とは、ボンドに父の愛を奪われたことであった。これは旧約聖書のカインとアベルのモチーフであると町山氏(TBSラジオたまむすび11/10)の指摘通りだが、ふと思い返すと「スカイフォール」の敵役、シルヴァ(ハビエム・バルデム)の私怨と重なる。シルヴァは母親ともいうべき”M”(ジュディ・リンチ)の愛を奪ったボンドと”M”自身への復讐が目的であった。「スカイフォール」とスタッフがほとんど同じであるという点も加えると、今作は前作「スカイフォール」をポップにした裏面であるという見方もできるかもしれない。
 
その点でラストシーンは前作と巧く対比できている。
前作で母を失ったボンドは、今作でマドレーヌ(madeleine、マグダラのマリア)という新たな母、伴侶を得て去っていくのだ。